この世には絶対も一択もない

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 自身も20歳でシュツットガルトに籍を移した酒井は、「基本的には絶対に行った方がいいの一択」と回答。こう続けている。

(中略)

 現在32歳の元日本代表DFは「どこに行ってもその言葉に順応して、環境に順応して、そこで試合に出られるように頑張らないと。よっぽど怪我して何もできなかったならいいけど、コンディションも整ってるのに試合に出られなかったとか、帰ってきて、ダメだったみたいな感じの話を聞くと、いやいやいや、それは海外に行くことが悪いんじゃなくて、そいつがダメだっただけだと」と意見した。

随分と語っちゃうものだなあ。

成功したと自負する人間には気付けないかもしれないが、そういう成功譚は、本人の努力や才能を前提とした「たまたま」である可能性が高い。人によって向き不向きは確実にあり、さらに向いていたとしても、タイミングや巡り合わせによって起きる不運もある。それらを克服できなかったことを「そいつがダメだった」で片付けちゃう乱暴さ。

所詮人間は自分の経験から語るしかなく、選ばなかったifの結果がどうだったかなんて誰にも分からない。ましてや同じことが他人にとって良いかどうかなんて、更に分からない。控えめに言っても確率の問題であり、絶対に「一択」なんかではない。

大事なのは、自分で決めて、自分で背負うこと。そこで他人が正解不正解を言う権利なんて微塵もないよ。

ダメすぎる日本の男社会

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ここまでダメすぎると言葉がないな。こんな政治ではそりゃあ少子化進むでしょうよ。育休は会社から見れば休みなんだろうけど、当事者にとっては休みでも何でもなくて、ずっと働いているのと同じ。そこが分かっていないあたり、やっぱり日本の男社会はダメだ。

うちの会社の育児・介護支援制度とかも、制度を利用する人のことを考えていない使いにくい制度で、育児・介護をする立場になったことがない人が作ったような、会社として配慮してますと言いたいだけの制度なんだよなあ。

子供のクラブチームもそう。パパさん連中はチームの仕事にママさんをアサインしまくって「やってるうちに楽しくなるから!」とか言うが、両親そろってチームに出てきたら家の仕事は全て止まるんだけど、そこはパパが家に帰ってからやるんだよね?やらんだろうなあ。ママさんがチームの仕事を簡略化しましょうと提案するのを「いや、そこは子供ファーストでやってもらわないと」ともっともらしいことを言って片っ端から却下するくらいだからな。要は自分の都合でしか考えてないのよ。

育児も家事も、飯すら自分で作れないような連中が、社会全般で幅を効かせているうちは少子化は解決しない。なんで自分がやったこともない仕事を上から目線で語るかなあ?おまえら貴族かよ。日本の地盤沈下はまだまだ止まらんな。

PK戦対策は価値が高い

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FIFAワールドカップを戦う代表チームでPK戦の練習・準備は必要に決まってる。というか、カタール大会のチームがほとんど準備していなかったことに驚いた。サッカー日本代表がベスト8を目指すならPK戦のスキルが必須項目なのは明らかで、代表チームはサッカー経験者にありがちな思考停止(PKは運、PKで負けたらしょうがない、PKはサッカーではない、など)に陥っていると思われる。上記の引用記事にしても、エピソードを羅列したものの、準備すべきか「悩ましい」などと結論を濁して提言がない。

世の中には重要度と解決方法が不釣り合いなものがいくつかあって、日常ではじゃんけん、サッカーではPKがある。このような不釣り合いは対策することで大きな利益が得られる。じゃんけんは、統計データ・動体視力・瞬発力・フォームで決するゲームで、対策すれば強くなるのだが、ほとんどの人が運で片付ける。(なので、狙い目なスキルである。) PKはサッカーそのものではないが、サッカーを使った別の競技であり、これも運ではなく、純粋に技術であり勝負である。

何かの真剣なゲームプレイヤーであれば、すべての要素を合理的に分析・対策するのが当たり前で、分析・対策こそが勝負そのものなのだが、サッカー日本代表村とその周辺では古いスポーツ世界特有のそれができない空気があるのかもしれない。同じサッカーでも、高校サッカーでは真摯にPKを突き詰めている。(似たような議論としてロングスローもあるが、長くなるのでここでは書かない)

サッカー日本代表は、FIFAワールドカップを攻略するにあたり、サッカーを客観的に俯瞰できる人材・チームをサッカー外から登用した方がよいのではないか。例えば、選手の食事を素人やサッカー関係者が準備したりしないだろう。それは食事の重要度・専門性がすでに共通認識としてあるからで、今一度サッカー日本代表村は自分たちがサッカーを一番理解できているという思い込みを捨て、オールチームであらゆる可能性を追求すべきと思う。

ちはやふる展

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北九州市漫画ミュージアムで開催された「ちはやふる展」の最終日に滑り込みで行ってきた。規模は大きくないが、いい雰囲気の展示で、今回初公開となる物語終盤の表紙や、京都の時に展示されていた複製画の一部も観ることができ、原稿も小学生編から直近の内容まであって見ごたえがあった。デジタルに移行する前の手書きのネームもよかった。

しかし何より良かったのは、末次先生のインタビュー動画を観ることができたことだ。動画は2種類で、ちはやふる展のイメージボード作成時に真上から撮影したものを早送りした映像(音声なし)と、インタビューに答える先生の映像(肩から上はフレームアウト)だ。インタビューの内容は、イメージボードの製作意図と、「ちはやふる」に込めた想いと、読者への感謝の気持ち、だった。

長い間作品を愛してくれてありがとう。この応援があったからこそこんなにたくさんのことができた。幸せです。と読者へ伝える涙声に、末次先生のまじめな人柄と、いろんな背景を背負う先生の心情が伝わってきて、こちらまで泣いてしまった。

基本的に大満足の展示だったが、私が個人的に好きなのは、駒野と原田先生と猪熊さんと山城永世クイーンなので、アンケートには「山城さんの絵をもう少し見たかった」と書いたのだが、よく考えてみればこの書き方だとふつう理音のことと思われちゃうよね、しまったなあ(笑)。具体的には、名人戦第4試合の後で、読手を引退する山城さんへ想いを伝えようとする周防名人に対して、山城さんがほんの一瞬だけ、かつてのクイーンの矜持と闘気を漲らせるシーンがすごく好きで、あれを生で観たかったのです。

専任読手は「読み」に色がついてはいけない。
安定して同じ音はいつも同じ音でなければならない。
それが大事とわかっているけど。
札に、かるたに捧げた日々が乗ってしまう。

審判文化とシンギュラリティ

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この元審判員記者による反論は筋が悪い。白井審判ひいては審判全体の立場を擁護したいのだろうが、まず最初に野球ファンがどう感じているのかという視点が足りない。特に、ルールブックに書いてあるから正しいのだ、という反論は最悪だ。法律家にもありがちな態度で、ルールが不適切である可能性に全く思い至っていない。

審判サイドがこのような姿勢を崩さないなら、次に来るのは「ではルールを変えましょう」「そもそも審判要らないんじゃないですか?」という議論である。インターネットとAIは世界を変えてしまった。多くの人がおかしいと思うことに異を唱えることができるようになったし、コンピュータが人間よりも優れた判断を下すことが可能にもなった。

そこを踏まえれば、審判サイドが主張しなければならないのは、人間の審判ならではの存在意義なり付加価値であるはずなのだが、長い間特権に胡坐をかいてきて、審判が無くなる危機感など微塵もないのだろう。長きにわたって野球の発展に貢献してきたのに、必要が無くなったら簡単に切られる悲哀は同情するが、それは別に審判に限った話ではなく、いま世界の全てに起きている変化であり、我々全員が直面している時代の潮目なのだ。

「のぞみ」期間限定で子ども無料

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対象は東京―博多間のうち、近距離を除く大半の区間の普通車指定席とグリーン席。大人と6歳から12歳未満の子どもの分を「エクスプレス予約」または「スマートEX」で同時購入するほか、全員がICカードで乗車することなどが条件。購入後、2週間程度で子どもの分を運賃を含めて全額返金する。

コロナ禍で失われた旅行需要や子供たちの経験の場など諸々を回復できる良い案だと思うのだが、記事のコメント欄がブーイングで溢れて大変なことになっている。うるさい子供が新幹線に押し掛けて迷惑だとか、子連れだけ優遇するなとか、余裕のない言葉のオンパレード。そりゃあね、私ら皆仕事に追われまくって、お金カツカツで生活苦しくて、分かりますよその心境は。

でもね。少子化って金の問題だけじゃなくて、こういう世の中の空気が大きいと思う。「子供は世の中全体で育てる」というかつてのコンセンサスはもはやどこにもない。電車とかそういうとこで、みんながちょっとずつ辛抱して見守り育てた子供たちが、将来大人になって私たちの世の中を支える力になるのだが。きっと子供たちの何人かは、電車の中で優しく接してくれた大人のことをずっと覚えていて、いつか親になった日にふと思い出すんだと思うよ。

だいたい、日本がこんな状況になったのは明らかに政治の失策なのに、割を食った国民同士がコメント欄で殴り合ってるのって本当に不毛。怒りの向け処はそっちじゃないだろ。

民草のさざめき

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これにひろゆき氏は「ネットで情報が増えたから投票に行くだろうというのは、なんかちょっと若者を見下してるような気がするんです」と指摘し「ネットに情報がある・ない関わらず、別にテレビだろうといろんな情報は手に入れていて、で、『別に投票行ったって俺の人生変わんないよね』ってちゃんと判断した結果なんで。ネット上に情報を置いてもその判断は変わらないっていうだけなので、予想された結果じゃないかなと思う」と分析した。

改ざん的な切り貼りをするニュース記事も多いので、ソース元の番組全体としては別のことを言っているのかもしれないけど。こういう声の大きい人が、選挙に行かない若者に免罪符を与えるのはやめていただきたい。

人口で上回る老人の投票率が高いから、若者が投票しても無駄とか、それは只の分析であって、真理ではない。「投票する」「投票しない」の二択があって、「投票する」方の選択だけが世の中を変え得るという事実は微塵も揺るがない。

大してやってもみないうちから口癖のように「無理」「無理」言う若者が多いが、せめてやってから言ってほしい。将来自分が「握手するだけで投票しちゃう老人」になってしまわないためにも、今ここで立候補者の政策を調べて投票する。10年20年続ける。若者の声が増せば、それを汲もうとする政治家も増える。選挙1回きりの勝ち負けの話じゃない。

最高裁判所裁判官の国民審査だって同じ。イカン判断を下した裁判官には×をつけてコンマコンマコンマ…1パーセントでも下げてやって、ちゃんと見て判断していることを示し続けるよ。