審判文化とシンギュラリティ

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この元審判員記者による反論は筋が悪い。白井審判ひいては審判全体の立場を擁護したいのだろうが、まず最初に野球ファンがどう感じているのかという視点が足りない。特に、ルールブックに書いてあるから正しいのだ、という反論は最悪だ。法律家にもありがちな態度で、ルールが不適切である可能性に全く思い至っていない。

審判サイドがこのような姿勢を崩さないなら、次に来るのは「ではルールを変えましょう」「そもそも審判要らないんじゃないですか?」という議論である。インターネットとAIは世界を変えてしまった。多くの人がおかしいと思うことに異を唱えることができるようになったし、コンピュータが人間よりも優れた判断を下すことが可能にもなった。

そこを踏まえれば、審判サイドが主張しなければならないのは、人間の審判ならではの存在意義なり付加価値であるはずなのだが、長い間特権に胡坐をかいてきて、審判が無くなる危機感など微塵もないのだろう。長きにわたって野球の発展に貢献してきたのに、必要が無くなったら簡単に切られる悲哀は同情するが、それは別に審判に限った話ではなく、いま世界の全てに起きている変化であり、我々全員が直面している時代の潮目なのだ。